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『はたして「MMT」は画期的な新理論なのか暴論か』への反論

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『はたして「MMT」は画期的な新理論なのか暴論か』は、2020年3月6日に東洋経済ONLINEに掲載された岩村 充氏の記事です。サブタイトルに「経済学主流派の欺瞞を暴いた新理論の正体」とあるように、単純なMMT批判ではありません。

 例によって反論の前に、MMTの基本的考えを三橋貴明著「知識ゼロからわかるMMT入門」から引用します。
(1)自国通貨を持つ政府は、財政的な予算制約に直面することはない
(2)全ての経済は、生産と需要について実物的あるいは環境的な限界がある
(3)政府の赤字は、その他の経済主体の黒字

の3つです。
 では、反論を試みます。

MMTの核心にして従来の政策論と異なる部分は、財政に関するルールを考えるとき、何が何でも借金は悪だという思い込みから脱し、財政規律をインフレ率基準に切り替えるべきという主張をするところにあると思います。つまり、財政の運営目標を収支均衡に置くのではなく、インフレ率が高くなったら増税し、デフレが問題になったら減税する、それで悪くないだろうという主張です。

これは、ある面、MMTを理解していると言えるでしょう。

 確かに悪くない、そういう気もするでしょう。現在の金融政策についての考え方は、インフレ率を基準に政策を運営し、インフレ率が上がってきたら引締め、下がってきたら緩和というものですから、MMTは、そこでの金融政策という部分を財政政策に置き換えただけで、その観点からは確かに悪くないような気がするはずだからです。
 彼女たちの主張は、従来の主流派ともいえる経済学者たちが当然としてきた金融政策ルール(「テイラールール」など)の財政政策版だとも言えるわけです。

「そこでの金融政策という部分を財政政策に置き換えた」という観点は、面白いと思います。

経済学主流派の金融政策に関するコンセンサスは「インフレが生じたら引締め、デフレには緩和で」というもののはずですから、MMTの議論は、そのコンセンサスの領分を通貨の世界から財政にまで拡張するものとして歓迎されてもよさそうなものなのですが、MMTが受けたのは称賛ではなく批判あるいは非難でした。

ふむふむ・・・

 MMTへの批判や非難の中には、経済政策論における近親憎悪のようなものも混じっているのですが、そうした批判や非難を別にすれば、経済学的に筋が通った批判も少なくありません。なかでも私が重要だと思うのは「金利が動けば財政は物価に影響しない、(赤字覚悟の)財政出動は金利がゼロ下限に達してからのみ意味がある」という命題を軸にしていると思われる批判です。

 しかし、そうした批判をしているアメリカの主流派経済学者たちの多くは、バブル崩壊後の日本を「流動性の罠」に陥っていると分析したうえで「金利がゼロ下限に達しているのだから、(財政拡大ではなく)貨幣を増やしてインフレを起こせ」と提言してくれていたのですから、ことほどさように、MMTは、既存の学者たちの矛盾を突いている面があり、それが正統派を自認する学者たちを怒らせるのでしょう。

本当のことを言われると、人は怒りますよね。

育児支援や教育無償化など福祉の拡充を主張するMMT派の議論に対して、「そんな主張を認めたらインフレになる、それもハイパーインフレになる」という理由で反対する政治家や有識者も少なくないようです。

しかしその一方で同じ人たちが、日本経済に成長力を取り戻すために役に立つのだというような理由で、育児や教育への支援に賛成するのを見たり聞いたりすると、彼らの頭の中はどうなっているのかとのぞき込みたくなるようなところがあります。

誤解がないように書き添えておくと、私は育児支援にも教育支援にも賛成です。ただ、それに賛成する理由は、そうした施策が人々の「心の豊かさ」につながるから賛成なのであって、将来の税収増を期待して賛成するわけではありません。

いいでしょう。

ですから、そうした施策がインフレ圧力を生むのなら、それが意図せざる分配の不公正を生まぬよう、金利を引き上げて人々の将来への備えである貯蓄がインフレで目減りするのを防ぐのが中央銀行の仕事だと思っています。また、そうして対処できるインフレは、MMT批判者が言うような「ハイパーインフレ」なんかではない、普通のインフレだとも思っています。

ただ、そこまで断ったうえでも、MMTは危険な主張だといえます。それは、インフレが生じてきたら増税すればいいという、何となく穏当そうに見える主張の背後にあります。

経済学主流派の面々がケルトンに最もてこずっている点は、彼女がこうした「安全装置」を付けて、「安全装置が付いているから財政を拡張してもいいでしょう」という議論を展開しているところにあるようですが、私からすればこれが最も危険な主張に思えます。

それはインフレに増税で対処することを自動化すれば、財政を拡張しても問題ないという発想自体が危ういからです。

なぜ、「インフレに増税で対処することを自動化すれば、財政を拡張しても問題ないという発想」が危ういのだろうか。

ケインズ経済学の有名なたとえ話である「道路に穴を掘って埋め戻すという工事でも、失業を解消し総需要を拡大するから、経済にプラスになる」というのでもいいのですが、ややたとえが古臭いので、「毎年百万人の高校生を修学旅行として宇宙ステーションに招待し、そこで青い地球をながめることで環境問題の重要さを感じてもらう」というあたりでどうでしょうか。

こんなプロジェクトを国が始めたら。まあ、普通はインフレが起こるでしょう。それが費用に見合うほどの将来税収を生まないことはまず間違いないからです。

「費用に見合うほどの将来税収」ということばは、岩村氏のMMTへの無理解を示しています。政府は、営利団体ではありませんし、政府事業に費用対効果は全く関係ないとは言いませんが、すくなくとも利益を目標とするものではないでしょう。このへんは、レントシーカー的発想がチラリホラリ。

この辺りで私たちはケルトンの議論の問題点に気づくことになるでしょう。「インフレ率が限度を超えたら増税」というMMT派のルールは、インフレが起こるような財政活動自体を制約するものではないので、そんな単純なルールを作って安心していると、経済学的には効率が悪い政策の自己拡大サイクルに財政運営が引きずり込まれかねないのです。

意味がわからなくなってきました・・・まるで主流派経済学者の文章を読んでいるような感じ・・・

MMT的ルールの問題は、状況を裏返しにしても見えてきます。この際、わが日本政府が、採算重視で「もうかるプロジェクト」を推進したとします。普通の政府は商売が苦手のようですが、普通の民ではできない商売なら成功するかもしれません。

東京湾を埋めたてて刑法の賭博罪が適用されない大カジノセンターを作るとか、このごろはやり始めた「情報銀行」を作って個人情報を独占管理し、小売業者や金融機関に利用を強制するなどというのは、国のプロジェクトとして運営すれば大儲けできて国の借金が減る可能性だってあります。

でも、そんなサイクルを回し始めたら、わが日本はカジノ国家にしてビッグブラザー国家への道を猛進することになりかねません。インフレが起こらなければいいというような単純なルールを、しょせんは貨幣価値を操るだけが分担業務の中央銀行に適用するのではなく、中央銀行などよりはるかに万能の国家全体に適用するときの怖さをケルトンたちには認識してほしいものです。

なんとなく見えてきました。つまり岩村氏は、MMTによって国家が暴走するのではないかと危惧しているようです。MMTは、単なる貨幣に対する事実を言っているだけであって、政策を立案実施するにあたり、財政的な予算制約はない、といっているだけです。

 どのような政策を実施するかについては、別の話です。それは、MMTというよりは、政治的理念や人間の幸福とはなんぞや、といった話になるでしょう。民主主義的手続きに則って、政策を決めればいいでしょう。

そもそも政府が「もうかるプロジェクト」を推進するというのでは、政府の存在意義がありません。儲かるプロジェクトは民間にやらせて、政府は不採算でありながらも国民の幸福のためには欠かせない事業を行うべきです。それができると言っているところにMMTの意義があります。

岩村氏の結論は、ぶっ飛んでいるような気もしますが、新手のMMT批判でしょうかね。

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