一人で食事をしてもつまらないから

非二元

宇宙創造の目的は、一人で食事をしてもつまらないから。というお話です。

わたしが尊敬する人に、ケン・ウイルバーという方がいます。 ケン・ウイルバーは、 わたしが思うに、哲学者であり悟りをひらいた人です。ケン・ウイルバーの著書である「存在することのシンプルな感覚」から引用します。

雑誌『パスウェイ』(以下、Pと略記) ―― 「スピリット」は、なぜ、わざわざ顕現しようなどとするのでし ょうか? その顕現が必ず苦痛に満ちたもので、しかも、自分の本当の正体を忘れるため「それ」にならな ければならない、というのに。なぜ神は、肉体化して顕現するのですか?

「スピリット」とは、空(くう)、道(タオ)あるいは創造神といってもいいかもしれません。

ケン・ウイルバー(以下、Kと略記)――やさしい質問から始めよう、というわけですね。長年、言われてきた理論的な答えを先にいくつかお答えして、それから、わたしの個人的な体験をお話することにしましょう。

 わたしも同じ質問を何人かの師にしたことがあるのです。すぐに帰ってきた古典的な答えは、次のようなものです。「一人で食事をしていても、つまらないからね」。

ケン・ウイルバーは、禅やチベット仏教などの何人かのグルに師事し修行した経験があります。

 これは、ちょっと聞くと軽薄な答えのようですが、考えれば考えるほど意味を成してきます。つまり、まあ冒涜のそしりを覚悟で、あなたとわたしが「スピリット」だとしましょう。いいですか?汝はそれなり、ですね。さて、あなたが神であると、なぜそもそも世界を顕現しようとするのですか?それが、あなたも言ったように、分離と混乱と苦しみを必ず伴うのに。なぜあなたである一者は、多者を生み出すのですか?

P――一人で食事しても、つまらないからですか?

K――何となくわかりませんか? つまり、ここにあなたがいて、たった一人です。無限であり、一者です。 あなたは栄光のなかに永遠に包まれ、一人、至福のなかに浸っている。遅かれ早かれ、あなたは自分が自分 ではないふりをするのが楽しいだろうと思うでしょう。つまり、それ以外に何もやることはないのです。そうすると、どうしますか?

P――世界を顕現させます。

K――そう思いませんか? つまり、それがおもしろそうに感じるでしょう。僕は子供の頃、自分でチェッ カーをしようとしたのです。そうしたことは、ありますか?

P――そんなことをやったようなことを覚えています。

K――うまくいきましたか?

P――あんまり。というのも、相手がどう駒を動かすか、わかってしまうからです。わたしは両方の側です から、相手の裏をかくことができません。これではゲームになりませんね。誰か、ぜんぜん違う人が相手と して必要になります。

K―――まさに、そこがポイントです。それが問題なのです。あなたは「他者」を必要とする。もしあなたが、 あらゆる存在のなかの唯一の「存在」であり、そして遊びたいとする。何かのゲームですね。そうすると、 あなたは他者の役割を演じる。そのうち、自分が両方の側であったことを忘れてしまうのです、そうでないと、あなたが言われたように、ゲームはまったくおもしろくない、あなたは、自分がもらかのプレイヤーであって、両方のプレイヤーであることを忘れなければならない。でないと、ゲームにならない。ちっともおもしろくないからです。

P―――もし遊びたければ――確か東洋では、幻戯(リラ)というようですがーーあなたは忘れなければならない。忘 却(アムネーシス)ですね。

K――そうですね。まさにそれが世界中の神秘主義によって与えられていた答えの核にあるものです。あな たは一者である。そしてあまりにも豊饒であり、豊富であり、歓喜に満ちているので、遊びたい、ともに喜 びたい、そう望む。そして多者を作るのです。そして、次にあなたは、実は自分がその多者であることを忘 れてしまう。そうでないとゲームにならない。顕現、肉体化、これは一者が多者であることで遊ぶ「大いなるゲーム」なのです。まったくおもしろいから、楽しいから、に過ぎません。

「存在することのシンプルな感覚」ケン・ウイルバー著 松永太郎訳 春秋社より

まさに、遊びをせんとや生まれけむ、ですね。

わたしたちは本当は、同じ一つの存在なのですが、楽しむために他人のふりをしている、というわけです。