「医療殺戮」を読みました

今回読んだ「医療殺戮」は、平成9年に面影橋出版から発行された矢部真・訳、天童竺丸・監訳のものです。現在は、ともはつよし社から内海聡 (監修)、天童竺丸 (翻訳)で復刊されているようです。どちらも 天童竺丸 さんが翻訳に関わっているので、翻訳的には大きな違いはないのではないかと思います。

著者について

著者のユースタス・マリンズ氏は、「民間が所有する中央銀行―主権を奪われた国家アメリカの悲劇」や「カナンの呪い」などいわゆる陰謀論ものを多数執筆しています。資料の徹底的な調査が身上で、ジャーナリストの鑑のような人でしょう。

私の医療に対する関心

私は小学生から中学生くらいまで小児喘息でした。40代の初めに初の痛風発作を体験しています。子供の頃、父が私に「薬は毒だから、できれば飲まないほうがいい」と言ったことが後々、影響を及ぼしているようです。ですので、痛風についてもできるだけ運動と食事でコントロールをしています。やむを得ず薬を飲む場合も漢方にしています。

医療関係の本は、そこそこ読んでいる方です。船瀬俊介さん、安保徹さん、内海聡さん、ベンジャミン・フルフォードさんなどです。

本書の感想

本書の目次は以下になります。

第1章 医療独占支配
第2章 ニセ医者に操られたAMA
第3章 ガン産業のボロ儲け
第4章 死の予防接種
第5章 フッ化物添加の恐怖
第6章 エイズはどこへ?
第7章 化学肥料の野望
第8章 食物連鎖の汚染

以下に本書を読んで感じたこと印象に残ったことを列挙します。

  • あらゆるものの背後にロックフェラー財閥が関わっている
  • 政府機関もロックフェラーの影響を逃れ得ない。
  • 低コストで著効のある療法はことごとく潰される
  • 医療機関は病気を「独占」しようとする
  • 患者の命より医者の懐が大事
  • 処理に困った産業廃棄物を食品添加物として使う

読めば読むほど同じ人間に対して、しかも同じ国の人間に対してこんなことができるのか?という違和感がおこります。

デヴィッド・ロックフェラーの死後、世界は急速に変わってゆくだろうと思います。医療の世界も早くまともになってほしいものです。

フェア党

フェア党は希望

フェア党という政治団体があります。党とは言っても、議員はまだ一人もいないので、一般政治団体というものになるのだそうです。そのフェア党を立ち上げたのは大西つねきさんという人です。

ここ1ヶ月ほど、大西つねきさんのYouTube動画を興味深くみていたら、近所で講演会があるということで行ってきました。YouTubeで見てはいても、同じ空気の中では伝わり方が違います。感動しました。最後に流されたマイケル・ジャクソンのCryとMan in the mirrorに体が震えました。

大西つねきさんの簡単な紹介

大西つねき公式ウェブサイトから引用します。

  • 東京都荒川区出身 1964.2.29生まれ
  • 荒川区立第三瑞光小学校卒業
  • 私立巣鴨中学・高校 剣道初段、柔道初段、スキー二級
  • 上智大学外国語学部英語学科
  • 在学中にシアトル大学へ奨学金留学
    • 米国シアトル大学 Political Science(政治力学)専攻
  • J.P.モルガン銀行 資金部為替トレーディング
  • バンカース・トラスト銀行 資金運用トレーディング
  • 株式会社インフォマニア 代表取締役
  • 政治団体フェア党 2011(2015に名称変更)-現在
  • 衆議院選挙出馬 2017年第48回衆議院選挙 神奈川8区

なかなかのスポーツマンでもあるようです。YouTubeでは、毎週金曜日にムエタイのジムに通っているという動画もありました。

J.P.モルガンというと、あっち側(わかりますね)の人じゃないかと思われることもあるそうですが、現場で働いている人たちはいたって普通の人達だそうです。

大西つねきさんの主張

以下に大西つねきさんの主張を簡単に記します。詳しくは、フェア党ホームページYouTube動画を参照してください。

世の中の問題の根本にはお金の発行の仕組みがある

信用創造ということを聞いたことがある人はわかると思いますが、お金と借金は同時に増えます。お金の発行で増えた借金を返済するためには、金利分のお金をさらに発行する必要があります。そのさらに発行したお金に伴いその分の借金も増える、という堂々巡りになる。

そうするとどうなるかというと、世の中に実体として存在する価値(土地、建物、インフラなど)やサービスより以上に、流通するお金(現金・預金)のほうが多くなってしまいます。これは、インフレを引き起こすはずですが、そうならないのは、余分なお金は動いていない、つまり価値交換のためには使われていないからです。

余分なお金は、お金それ自体を増やすために使われています。お金はお金が増えるところに集まっていきます。

政府の借金を税金で返してはならない

これについては、MMT(現代貨幣理論)でも言われています。上記の信用創造の仕組みから明らかなのですが、借金を返すとその分世の中からお金がなくなります。

財政均衡のために増税するというのは、世の中のお金を消すことにほかなりません。

お金の発行に関して疑義を呈する団体が世界的に増えてきた

上記の問題にきづいてお金の発行の仕組みを変えようという人たちが世界的に増えてきているそうです。いまやお金のパラダイムシフトが起こりつつあります。

お金の発行の仕組みを変えるには、最終的に政治を動かす必要がある

お金の発行というのは極めて政治的なことですから、それを変えるためには政治を変える必要があります。

政治を動かすには数が重要

政治を動かすには数が必要ですが、大西つねきさんは団体にアプローチしてそのメンバーの数を得る、という方法はとらないと言っています。

あくまでも個々人が組織に縛られず自由に考え納得することが重要だと言っています。

世界を変える

現代では、銀行はBIS(国際決済銀行)をトップとしてその下に各国の中央銀行があり、その下に各国の市中銀行があるという構造になっています。したがって、日本だけお金の仕組みを変えるということはできません。必然的に世界を変えることになります。

当面の方針

当面は、大西つねきさんが皆さんのところに行き少人数であっても講習会を開催して、賛同者を増やすという方針でやるそうです。

すこしでも興味のある方は、YouTube動画をご覧になり、フェア党ホームページを読んで見てください。

大西つねきさんの主張は、きわめてロジカルであり、腹に落ちます。

一人で食事をしてもつまらないから

宇宙創造の目的は、一人で食事をしてもつまらないから。というお話です。

わたしが尊敬する人に、ケン・ウイルバーという方がいます。 ケン・ウイルバーは、 わたしが思うに、哲学者であり悟りをひらいた人です。ケン・ウイルバーの著書である「存在することのシンプルな感覚」から引用します。

雑誌『パスウェイ』(以下、Pと略記) ―― 「スピリット」は、なぜ、わざわざ顕現しようなどとするのでし ょうか? その顕現が必ず苦痛に満ちたもので、しかも、自分の本当の正体を忘れるため「それ」にならな ければならない、というのに。なぜ神は、肉体化して顕現するのですか?

「スピリット」とは、空(くう)、道(タオ)あるいは創造神といってもいいかもしれません。

ケン・ウイルバー(以下、Kと略記)――やさしい質問から始めよう、というわけですね。長年、言われてきた理論的な答えを先にいくつかお答えして、それから、わたしの個人的な体験をお話することにしましょう。

 わたしも同じ質問を何人かの師にしたことがあるのです。すぐに帰ってきた古典的な答えは、次のようなものです。「一人で食事をしていても、つまらないからね」。

ケン・ウイルバーは、禅やチベット仏教などの何人かのグルに師事し修行した経験があります。

 これは、ちょっと聞くと軽薄な答えのようですが、考えれば考えるほど意味を成してきます。つまり、まあ冒涜のそしりを覚悟で、あなたとわたしが「スピリット」だとしましょう。いいですか?汝はそれなり、ですね。さて、あなたが神であると、なぜそもそも世界を顕現しようとするのですか?それが、あなたも言ったように、分離と混乱と苦しみを必ず伴うのに。なぜあなたである一者は、多者を生み出すのですか?

P――一人で食事しても、つまらないからですか?

K――何となくわかりませんか? つまり、ここにあなたがいて、たった一人です。無限であり、一者です。 あなたは栄光のなかに永遠に包まれ、一人、至福のなかに浸っている。遅かれ早かれ、あなたは自分が自分 ではないふりをするのが楽しいだろうと思うでしょう。つまり、それ以外に何もやることはないのです。そうすると、どうしますか?

P――世界を顕現させます。

K――そう思いませんか? つまり、それがおもしろそうに感じるでしょう。僕は子供の頃、自分でチェッ カーをしようとしたのです。そうしたことは、ありますか?

P――そんなことをやったようなことを覚えています。

K――うまくいきましたか?

P――あんまり。というのも、相手がどう駒を動かすか、わかってしまうからです。わたしは両方の側です から、相手の裏をかくことができません。これではゲームになりませんね。誰か、ぜんぜん違う人が相手と して必要になります。

K―――まさに、そこがポイントです。それが問題なのです。あなたは「他者」を必要とする。もしあなたが、 あらゆる存在のなかの唯一の「存在」であり、そして遊びたいとする。何かのゲームですね。そうすると、 あなたは他者の役割を演じる。そのうち、自分が両方の側であったことを忘れてしまうのです、そうでないと、あなたが言われたように、ゲームはまったくおもしろくない、あなたは、自分がもらかのプレイヤーであって、両方のプレイヤーであることを忘れなければならない。でないと、ゲームにならない。ちっともおもしろくないからです。

P―――もし遊びたければ――確か東洋では、幻戯(リラ)というようですがーーあなたは忘れなければならない。忘 却(アムネーシス)ですね。

K――そうですね。まさにそれが世界中の神秘主義によって与えられていた答えの核にあるものです。あな たは一者である。そしてあまりにも豊饒であり、豊富であり、歓喜に満ちているので、遊びたい、ともに喜 びたい、そう望む。そして多者を作るのです。そして、次にあなたは、実は自分がその多者であることを忘 れてしまう。そうでないとゲームにならない。顕現、肉体化、これは一者が多者であることで遊ぶ「大いなるゲーム」なのです。まったくおもしろいから、楽しいから、に過ぎません。

「存在することのシンプルな感覚」ケン・ウイルバー著 松永太郎訳 春秋社より

まさに、遊びをせんとや生まれけむ、ですね。

わたしたちは本当は、同じ一つの存在なのですが、楽しむために他人のふりをしている、というわけです。

人工知能の研究、発展は人類の意識進化を促す

意識進化とは何か

非二元

意識進化とは、ここでは、いわゆる悟りのことであるとしておきましょう。それでは、悟りとは何でしょうか。悟りとは「非二元」を頭ではなく、直感的、体感的、体験的に知覚・理解すること、であるということだと私は考えています。(ちなみに私は未だ悟ってはおりません、煩悩多き凡人です、はい(汗))

非二元とは、不二一元論(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ)のこと、と言っていいかと思います。 不二一元論 をWikipediaから引用します。

不二一元論(ふにいちげんろん、サンスクリット語: अद्वैत वेदान्त、Advaita Vedānta、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ、Kevalādvaita)とは、インド哲学・ヒンドゥー教のヴェーダーンタ学派において、8世紀のシャンカラに始まるヴェーダンタ学派の学説・哲学的立場である。これはヴェーダンタ学派における最有力の学説となった[1]。不二一元論は、ウパニシャッドの梵我一如思想を徹底したものであり、ブラフマンのみが実在するという説である。

また、非二元とは仏教的に言うと般若心経の世界です。般若心経は以下のように始まります。

摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、
照見五蘊皆空、度一切苦厄。
舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。・・・

「空」とは、あらゆるものの根源、そこからすべてが生ずるもの。
「色」とは、「空」から生じた具体的なもの、この世界。
そして、究極的には「空」も「色」も同じである、と言っています。

真我と自我

19世紀後半の南インドにラマナ・マハルシという聖者がいました。ラマナ・マハルシを知る人であれば、ラマナ・マハルシが悟った人であったということに異論はないでしょう。

「ラマナ・マハルシとの対話」を読むと真我と自我について多く語られています。真我と自我について私なりに定義すると次のようになると思います。
真我:般若心経の「空」、梵我一如の「梵」
自我:五感(肉体)、思考、感情の総体。

真我と自我について、ラマナが語っていることで印象に残ることばを挙げてみます。(必ずしも語っている言葉そのままではありません)

  • 自我とは真我の大海に生じた泡のようなもの、泡は消えて海に戻る
  • ただ真我だけが存在する
  • 真我は一つ、つまり私達のそれぞれの自我の背後には、唯一の真我だけがある
  • 真我は無数の自我を、また自我を通してこの世界を観察・観賞・目撃している
  • 真我以外は幻想であり、世界はホログラムのようなものまたは真我というスクリーン上に投影された映像のようなもの

悟りとは、上記のことがらを直感的、体感的、体験的に知覚・理解すること、と言えるのではないかと考えます。

では、どうして人工知能の研究が人類の意識進化・悟りを促すのでしょうか。

私は誰か?

ラマナ・マハルシは、悟りへ至る最短の道は自己探求であると言っています。自己探求とは「私は誰か?」という問いを徹底的に追求していくことです。

人工知能の研究は、NHKの番組ではありませんが「人間とはなんだ?」という問いを追求せざるを得ません。それはつまりラマナ・マハルシの勧める自己探求をしていることになります。したがって、人工知能研究は必然的に人類の意識進化(悟り)を促すことになります。

とはいえ人工知能研究者の立場としては、このような非二元や悟りというものをあえて避けて通りながら、あくまでも科学的・工学的なパラダイムの中で研究するのが正統ということになるのでしょう。しかしながら量子力学を確立した物理学者たちが少なからず東洋思想の世界に行き着いたように、人工知能研究もまた同じような道を行くのではないでしょうか。 前野隆司さんや三宅陽一郎さんのような研究者は、その嚆矢と言っていいのかもしれません。